社会人のためになればいいな〜と思うこと

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納得感の現実

何かを伝える時に相手が納得する場合と納得しない場合がある。これは必ず発生することである。何が相手の納得感を生むのか?ここを知っておくことが必要になるだろう。そうしなければ伝える立場になった時に不満を感じることになる。

この相手の納得感を構成する要素には「何を伝えるか」と「誰が伝えるか」が存在する。

「何を伝えるか」は伝える内容が相手に対してどのようなことを主張したいのか、その内容が妥当であるのか、が焦点となる。相手が理解できない論理であったり内容であれば、それは相手が納得するに至らない。何がどのように作用するのかの関連性を明確にして伝える必要がある。まさにロジカルに伝えることが重要になる。多くの人はこの点を重視していることが見受けられるため、「何を伝えるか」が正しい内容であることが多いであろう。それでも相手が納得しないことがあり、その場合、「なぜ分かってくれない」と不満に感じてしまう。これは若手中心に発生することが多い。その原因となるのが、「誰が伝えるか」である。

「誰が伝えるか」は「何を伝えるか」の良し悪しではなく、伝える人によって相手が納得することを意味する。自分が言っても納得してくれないが、同じ内容でも他の人が言ったら納得して物事が進んだ、というケースがそれに該当する。これは人の先入観やパワーバランスから生まれる納得感である。これは多くの人が経験したことがあることかも知れない。もちろん私も経験がある。

私が以前、装置メーカーの営業をやっていた頃の話だ。まだ若手であった私はお客様との打ち合わせ後に技術の社員に仕様のすり合わせをした。仕様としては難しいものではなかったが、技術側はその仕様に対して拒否を示した。その仕様はお客様が必須項目と挙げているものであり、それを実現しないことは受注をしないということを意味していた。拒否をする理由が技術的に難しいのであれば、他の代替案を模索することになるが、技術的に難しいものではない。技術側が拒否をした理由が「面倒だから」ということであった。それは非常に残念な話である。血気盛んであった私は事業部長に「面倒だからやらないのはどういうことか?これを受注しないという方向で進めていいのか?」ということを訴えた。技術の担当者もまさか事業部長に直談判するとは思っていなかったようだ。その時、技術に配属された同期がどこかへ駆けて行くのが見えた。前代未聞の事態に周囲は騒然となった。事業部長は目を丸くしながら私の話を聞いていた。私の話の中心は「面倒だからで受注をしなくて良いのか?」ということであった。事業部長は「受注はしたい」という意思ではあるものの、「面倒だから」を批判することはなかった。その時、先ほど駆けて行った同期が戻ってきた。その後ろには常務がいた。常務と私はプライベートでも良い付き合いをさせていただいていた。夕方に常務から電話が来て「喉が渇いた」と言って2人で飲みにいく間柄であった。その常務がやってきた。常務が登場するとフロア全体に緊張感が走った。そして、「どういうことだ!事業部長」と私の隣に来て事業部長に詰め寄った。丸くなっていた目を更に丸くした事業部長は何も答えられない状態だ。そして、それを見た常務は

「関係者を全員ここに集めろ!」とミーティングスペースを指した。まもなく関係者が集まり、技術部側から事の経緯の説明を始めた。それを聞いた常務は

「面倒だから受注しなくて良いのか?」と私が言った言葉を放った。周囲は黙り込む。そこで事業部長が口を開いた。

「これはやります。常務、申し訳ございませんでした」

それを聞いた常務は「謝る相手が間違っている。謝る相手は営業だ」と返した。そして、常務は私に「これでいいか?」と確認し帰って行った。常務が帰った後の周囲の私への視線が怖かったのはいうまでもない。

 

だいぶ長い話になってしまったが、若手の私が言っても動かないが、常務が言うと動くという「誰が伝えるか」によって結果が変わることがあるということだ。私にとってこの経験は様々なことを学べるいい経験になったと感じている。

伝えるときには「何を伝えるか」と「誰が伝えるか」が重要であることを覚えておきたいものだ。